東京地方裁判所 昭和49年(ワ)7941号 判決 1983年12月21日
原告
黒崎徹
右法定代理人親権者父兼原告
黒崎和夫
同母兼原告
黒崎栄子
右原告ら訴訟代理人
坂根徳博
被告
本多平吉
右訴訟代理人
小海正勝
高田利広
被告
学校法人東京女子医科大学
右代表者理事長
吉岡博人
右訴訟代理人
松井宣
松井るり子
小川修
奈良ルネ
小川まゆみ
主文
一 被告本多平吉は、
1 原告黒崎徹に対し金一三二〇万円及び内金一二〇〇万円に対する昭和四九年一一月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を、
2 原告黒崎和夫、同黒崎栄子に対し、各金一一〇万円及び各内金一〇〇万円に対する昭和四六年四月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を、
それぞれ支払え。
二 原告らの被告本多平吉に対するその余の請求及び被告学校法人東京女子医科大学に対する請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用は、原告らと被告本多平吉との間においては、原告らに生じた費用の一〇分の一を同被告の負担とし、その余は各自の負担とし、原告らと被告学校法人東京女子医科大学との間においては、全部原告らの負担とする。
四 この判決は、第一項に限り仮に執行することができる。
五 被告本多平吉において原告らに対し、金五〇〇万円の担保を供するときは右仮執行を免れることができる。
事実
第一 当事者の求める裁判
一 請求の趣旨
1 被告らは各自、
(一) 原告黒崎徹に対し、金一億四四八五万円及びこれに対する昭和四九年一一月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を、
(二) 原告黒崎和夫、同黒崎栄子に対し、各金五五〇万円及びこれに対する昭和四六年四月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を、
それぞれ支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
3 仮執行宣言。
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 当事者
(一) 原告黒崎徹(以下「原告徹」という。その余の原告も同様に略称する。)は、昭和四二年八月二五日生れの男子である。原告和夫は、原告徹の父であり、原告栄子は母である。
(二) 被告本多平吉(以下「被告本多」という。)は、救急告示病院である田端中央病院を開設、経営する医師である。
(三) 被告学校法人東京女子医科大学(以下「被告女子医大」という。)は同じく救急告示病院である東京女子医科大学附属病院(以下「女子医大病院」という。)を開設、経営している。
2 原告徹の負傷と診療経過及び後遺症
(一) 原告徹(当時三歳)は昭和四六年三月二二日午後五時ころ(以下、特に断らない限り、時刻はすべて同日の時刻を指す。)、道路を横断中、左側から時速約二五キロメートルの速度で走行して来た乗用車にはねられ、頭部を負傷した(具体的には、同人の左側頭部が車体と接触し、転倒して路面に右側頭部を打ちつけた。以下「本件事故」という。)。そして、救急車により田端中央病院に搬送され、午後五時二三分ころ、同病院に到着した。
(二) 同病院においては、被告本多及び同病院勤務の吉本和之医師(以下「吉本医師」という。なお、右の両名を合わせて「被告本多ら」ということがある。)が、原告徹の診察に当つた。被告本多らは、視診により、原告徹の左耳介に擦過傷、左側頭部に皮下血腫(こぶ)があるのを認め、その治療をした。また、頭部のレントゲン撮影を、後―前(前頭部に写真乾板を当て、後頭部から前頭部へ向けてX線を放射して撮影を行う。この場合、写真乾板を当てた頭蓋骨前部の状況―骨折の有無―がよくわかる。以下、撮影方向の説明は省略するがすべて同様の趣旨である。)、右―左の二方向から行い、頭蓋骨骨折がないものと判断したが、前―後、左―右の二方向からのレントゲン撮影は行わなかつた。
以上により、被告本多らは、原告徹を入院させる必要はないものと認め、止血剤を投与した上で付き添つていた原告栄子に「自宅で安静にさせているように。」と指示をして、午後五時五〇分ころ、原告徹を帰宅させた(以下、これを「第一回診察」という。)。
(三) 原告徹は午後六時ころ自宅に到着し、安静にしていた。すると、午後六時三〇分ころになつて突然頭痛や悪心を訴え、嘔吐を始めるようになつた。驚いた原告和夫らが田端中央病院にその旨を連絡したところ、直ちに来院するよう指示を受け、再び原告徹を連れて同病院に赴き、午後七時三〇分ころ、吉本医師により、急性頭蓋内血腫の疑いが強いと診断された。
右再診時における原告徹の状態は、「ぐつたりしている。(頭の)右側が痛いと訴える。瞳孔の大きさに左右差あり、右>左(右の方が左より大きい。以下同じ。)。」というものであつた。
(四) ところが、田端中央病院には開頭手術を行い得る設備がなかつたため(後に述べるとおり、急性頭蓋内血腫の処置は緊急開頭手術しかない。)、吉本医師は、開頭手術をすることができる転医先を求めて数箇所の病院に連絡をとり、ようやく女子医大病院から受入れの了解を得た。
しかし、転医先を探すのに手間どつたため、原告徹が田端中央病院から女子医大病院へ向けて搬出された時には既に午後八時三八分になつていた。
(五) 原告徹は午後八時五八分、女子医大病院に到着し、直ちに同病院勤務の仙頭茂医師(以下「仙頭医師」という。)の診察を受けた。仙頭医師は、脳血管撮影等を行つた結果、原告徹の右側頭部に急性硬膜外血腫が形成されているものと診断し、開頭手術を行つた。右手術の開始時刻は午後一一時五二分であつた。
右手術前、午後一一時三〇分の段階における原告徹の状態は、「意識状態、昏迷ないし昏睡。瞳孔左右不同あり、右>左、右瞳孔は固定的に散大。右網膜出血。」というものであり、また、手術の過程で、前記血腫の原因は右側頭部の中硬膜動脈後枝に破綻が生じたことにあること、原告徹の右側頭部に骨折が生じていたことが確認されている。
(六) 右手術の結果、血腫が取り除かれ、原告徹は一命をとりとめた。しかし、左半身の不全麻痺を中心とする四肢の麻痺、知能障害等労働基準法施行規則の身体障害等級表において第一級に相当する重篤な後遺症が生じている。
<中略>
7 因果関係
(一) 硬膜外血腫が生じた患者の症状経過は、血腫の増大により脳実質がどの程度圧迫を受け、その結果どのような状態になつているか(以下これを簡単に「脳圧迫の程度」と呼んでおく)によつて決まる。そして、患者の予後(後遺症を含む)の良否も、開頭手術が行われるまでに脳圧迫がどの程度まで進んでいたかによつて左右されると考えられている。
右の症状経過と、脳圧迫の程度を対比させた代表的学説として、フーパーの説があり、これによれば、次のとおりとなる(以下の説明において、(ア)は脳圧迫の程度、(イ)はその時点における患者の意識、(ウ)はその時点において現れる主要な症状をそれぞれ現す)。
(1) 第一段階
(ア) 偏位
(イ) 清明
(ウ) 頭痛
(2) 第二段階
(ア) 局所圧迫
(イ) 傾眠(うとうとしているが、刺激で覚醒し、そのときは正しい言葉と動作で反応する)
(ウ) 頭痛、嘔吐、一側瞳孔拡大、病的不穏
(3) 第三段階
(ア) 天幕ヘルニア(鉤回にヘルニアが生じ、大脳の一部が脳幹を圧迫する。脳ヘルニアの一種)
(イ) 昏迷(強い落痛刺激や大声に緩慢に反応する)
(ウ) 著明な瞳孔の左右不同
(4) 第四段階
(ア) 脳幹偏位及び出血(ヘルニアが強くなり、脳幹部が偏位をおこし、出血が生ずる)
(イ) 昏睡(刺激に対し、心理的に理解できるような反応が現れなくなる)
(ウ) 喘鳴、錐体路障害、徐脳硬直
(5) 第五段階
(ア) 延髄不全
(イ) 死亡<以下、省略>
理由
一当事者
請求原因1(当事者)のうち、(一)は原告栄子の本人尋問の結果によりこれを認めることができる(被告女子医大との間では争いがない)。同(二)、(三)は、それぞれ、該当被告との間で争いがない。
二原告徹の診療経過と後遺症
1 <証拠>を総合すると、原告徹の受傷状況及び診療経過は請求原因2の(一)ないし(五)記載のとおりであつたこと(ただし、(二)のうち被告本多らが原告徹に硬膜外血腫発生の危険がないものと認め、帰宅を許したのかどうかの点及び(五)のうち、骨折の存在部位の点を除く。右の二点は、後に必要な箇所で認定する)、その後遺症は同(六)記載のとおりであることが認められる。
2 前掲各証拠に、鑑定の結果(鑑定人泉周雄の尋問の結果を含む。以下同じ)を併せ考えれば原告徹の後遺症は、硬膜外血腫の除去が遅れた結果、脳損傷が生じたことによるものであることが認められる。
三硬膜外血腫について
<証拠>及び鑑定の結果を総合すると、以下の事実を認めることができる。
1 頭部に外力が加えられると、頭蓋内の血管に破綻が生じ、これによる出血が原因となつて血腫が形成されることがある。これらの血腫は頭蓋内血腫と総称され、頭部外傷の合併症として重要視されているものの一つである。
2 頭蓋内血腫のうち、頭蓋骨と脳硬膜との間に生ずる血腫が硬膜外血腫であり、頭蓋内血腫の中でも最も出現頻度が高い。硬膜外血腫(特に後述の急性のもの)が生ずる部位は側頭部が多いとされているが、これは、側頭骨内面に、硬膜外血腫の出血源となることが多い中硬膜動脈が走行していること、側頭骨が外力に弱い部分であること等によるものである。
硬膜外血腫の原因となる硬膜外出血は、頭蓋骨骨折に伴つて生ずることが多いが、出血の有無は必ずしも外力の大きさ(したがつて骨折の有無)により決定づけられるものではなく、骨折を伴わず頭部に軽微な外傷が存するにすぎないような場合であつても出血がおこることがある。特に小児の場合は骨折を伴わない出血が少なくないため注意を要するとされている。
3 硬膜外血腫の原因は、硬膜列出血であるから、出血が継続している限り血腫が増大していく。その結果はじめ小さかつた血腫が、出血につれて増大し、脳実質を圧迫するようになり脳圧が昂進していく。そして、適切な時期に処置が講じられなければ、脳に致命的な損傷が生じ、死に至る。
右のような経過から明らかなとおり、出血が始つてもしばらくの間は何の症状も現れない時期(無症状期)があり、この無症状期を過ぎると突然頭痛等の症状が現れ、次いで意識障害が生じこれが深まつていくというのが、硬膜外血腫の典型的な経過である。
このような臨床経過と、血腫の増大及びこれを原因とする脳圧迫の度合とを対比させた学説としてしばしば文献に引用されているものがフーパーの説であり、その内容は請求原因7の(一)記載のとおりである(ただし、学者によつて意識障害の分類等が異なるため、多少解釈が異なる点もあるように窺われるが、本件証拠関係による限りは概ねフーパーの説と同様の経過をたどるものと考えられているようである)。そして、右の説が指摘している意識障害その他の症状が、硬膜外血腫の主要な臨床症状に外ならない。
なお、右のような症状の経過が急激に生ずるものを急性硬膜外血腫といい、早期にこれを発見し、処置が行われないと予後が悪い。また、早期に治療が行われても死亡し、或いは重篤な後遺症を残す例が少なくないと言われている。急性例であるか否かの一つの目安が、無症状期の長短であり、無症状期が短い程(六時間が一つの目安とされることが多い)その後の症状の経過も急激である。そして、硬膜外血腫ではこの急性例が非常に多いとされている。
4 硬膜外血腫に対する治療は、極めて例外的な場合を除き、開頭手術による血腫の除去と止血措置である。その意味で、硬膜外血腫には、開頭手術が絶対的適応になるとされている。この開頭手術は早期に行う必要があるが、特に急性例では緊急性が高く、一刻も早く血腫の存在を診断し、開頭手術を行う必要があると指摘されている。
5 そこで、開頭手術施行の前提として、血腫の早期診断が必要とされるわけであるが、無症状期のうちにこれを診断することは、本件当時の医療水準では極めて困難であつた。しかし、症状がないからといつて血腫の発生を否定できないことは前述のところから明らかであるから、受傷直後の頭部外傷患者を診察する医師としては、全患者を硬膜外血腫(特に急性のもの)の発生を否定することができない要注意患者と考えた上で、問診、視診等により受傷状況、患者の容態、外傷の有無等を確認し、更に、頭部レントゲン撮影(これは、前―後、後―前、左―右、右―左の四方向から行う必要があるとする者が多い)を行つて頭蓋骨骨折の有無を確かめ、血腫発生の危険を疑わせるような徴候が認められないかどうかに注意する必要があるとされている。血腫発生を疑わせる徴候は種々指摘されているが、その中から本件に関係があると思われるものを掲げると次のとおりである。
(一) 頭部外傷が交通事故等のスピード事故によるものであること。この場合、事故をおこした車両の速度が時速二五キロメートル以上であれば、血腫発生の危険があると指摘する説もある。
(二) 側頭部、頭頂部に外傷が存在すること。この場合、外傷の程度を問わず血腫発生の危険がある。
(三) 頭蓋骨骨折が存在すること。骨折の部位は問わないが、骨折線が中硬脈動脈の走行部位と交叉するような形で認められる場合は、特に血腫発生の危険が高い。
(四) 右のうち、(二)、(三)、特に(三)は血腫発生の危険を判断するに当つて重要である。
そして、右のような徴候があつて血腫発生の危険が認められる場合には、患者を帰宅させずに医師の観察下に置き、意識障害等の症状が現れないかどうかに注意する必要がある。観察期間をどの程度とするかは文献によつて異なるが、六時間程度とするものが多く、最低でも二ないし三時間としている。この観察期間が経過しても症状が現れない場合には、血腫発生の危険が薄れるし、仮にその後症状が現れても予後が良いため、容態に変化があつた場合には直ちに連絡をするよう指示をしたうえで、患者を帰宅させて良いとするのが一般的な考え方であつた。
四被告本多の責任
第一ないし第三項に認定した事実を前提として、まず被告本多の責任の有無につき検討する。
この点に関する原告らの主張は、「第一回診療が終了した午後五時五〇分の時点で、直ちに原告徹を女子医大病院に転医させるべきであつた。」というものであるが、右の義務を根拠づける前提に様々な問題が含まれているので、以下においては右の主張を三つの段階に分け、(一)第一回診療の終了時に、急性硬膜外血腫の発生或いは発生の危険を認識すべきであつたか、(二)認識すべきであつたとすれば、その時点で直ちに転医措置をとるべきであつたか、(三)その場合転医先を女子医大病院とすべきであつたかの順で検討し、その結論を踏まえて、被告本多らの義務違反の有無を考えることとする。
1 硬膜外血腫発生またはその危険の診断について
(一) 第二、三項に認定した各事実に照らしてみると、第一回診察が行われた当時、原告徹は硬膜外血腫の症状を示しておらず、無症状期にあつたものと認められる。したがつて、右の時点で血腫発生の診断を下すことは極めて困難であつたと言わなければならない。
問題は、右の時点で、血腫発生の危険を疑わせる徴候があり、原告徹を帰宅させるべきではないと判断すべきであつたかどうかにある。
(二) そこで、右の点について考えるに、原告徹には、少なくとも客観的には次のような血腫発生を疑わせる徴候があつたと言える。
(1) 第一回診察は、原告徹の受傷直後に行われており、診察終了時でさえ受傷から一時間たらずしか経過していないこと。
(2) 原告徹は、時速約二五キロメートルの速度で走行する車両にはねられたこと。この際、左側頭部付近を車と接触させ、転倒して右側頭部付近を路面に打ちつけたこと。
(3) 原告徹の左側頭部に皮下血腫があり、左耳介には擦過傷があつたこと。
(4) 頭蓋骨骨打があつたこと(前掲丙第一号証(手術記録)には、右の骨折が人字縫合に交叉する形で存在していたという記録がある。右は手術を担当した医師の肉眼所見によるものであつて正確性が高いものと認めてよい。そして鑑定の結果によれば、右のような骨折の部位は側頭部ではなくむしろ頭頂部というべきであることが認められる。したがつて、側頭部に骨折があつたという原告らの主張は誤つたと言わなければならないが、前判示のとおり、頭蓋骨骨折の存在はその存在部位にかかわりなく血腫発生を疑う指標となるのであるから、右の誤りはこの際余り重要ではない。)
(三) そして、被告本多らが右の状況をどの程度把握し得たかを考えるに、まず、右のうち、(1)、(3)を認識していたことは第二項における認定から明らかである。また、(2)の点は、原告栄子の問診を十分に行つていれば、少なくとも原告徹が交通事故によつて左右側頭部を打撲した疑いがあるという程度までは聞き出し得たものと考えられる(本件において、被告本多らがどの程度の問診を行い原告栄子がどの程度の回答をしていたのかについては関係者の供述が食い違つている上にあいまいな点があり、正確に認定することが困難である。また、<証拠>によれば、当時原告栄子は動転しており、余り要領を得ない回答をしていた節も窺えなくはない。しかし、そうであつても先に認定した程度のことは単純な事柄であり、聞き出し得たはずであると言つてよい)。
最後に(4)の点であるが、被告本多らが、右―左、後―前の二方向からのレントゲン撮影を行い骨折を認めなかつたことは前判示のとおりである。しかし、被告本多らは右側頭部の状況が良く写るはずである左―右方向のレントゲン撮影を行つていない。そして、第三項の認定に供した書証中にある文献の多くが、頭部外傷患者に対するレントゲン撮影は四方向から行う必要があると指摘していること、前示のとおり、原告徹は右側頭部も打撲した疑いがあり、同部の骨折の有無の把握も重要であつたと思われることに鑑みると、本件の場合、左―右方向のレントゲン撮影も行うべきであつたと言わなければならないのであつて、骨折を発見することができたかどうかの判断も、左―右方向の撮影が行われたことを前提として行う必要がある(この結論は、保険診療では二方向の撮影しか認められないとしても異るものではない)。この見地に立つて考えてみると、証人仙頭茂が、「手術時に同人が確認した骨折線は、左―右方向のレントゲン写真に現れてよいはずだ。」という趣旨の証言をしていることに照らし(これは、手術時に骨折を肉眼で確認した医師の発言であるから尊重に値しよう)、左―右方向のレントゲン撮影が行われていれば、骨折の存在を発見できた可能性が高かつたものと認められる。ただし、小児の場合には、一般に骨折を発見しにくいという鑑定の結果もあり、断定することはできない。
(四) 以上判示したところによると、レントゲン撮影により骨折の存在を発見できた場合はもちろん、これを発見できなかつた場合であつても、第一回診察が受傷直後の急性硬膜外血腫の発生を否定し難い段階において行われていた上に、交通事故による左右側頭部打撲の疑い、左側頭部外傷の存在という血腫発生を疑うべき徴候が認められたはずである以上、被告本多らとしては、原告徹を帰宅させるべきではないと判断すべきであつたと言わなければならない。
2 転医措置ないしその勧告について
(一) 医師が患者に急性硬膜外血腫発生の危険があり、帰宅させるべきではないと判断した場合、一般には患者を医師の許に置いて経過観察をすべきであるとされている。しかし、開頭手術を行うことができるだけの設備を持たない病院の医師の場合には、経過観察を行つた結果急性硬膜外血腫の症状が現れたとしても、当該病院において開頭手術を行うことはできないわけである。その結果、症状が現れてから転医措置をとつても間に合わない場合があることが当然予想されるわけであるから、単に経過観察をするのに止まらず、症状が現れる前に転医措置をとる義務があると認められるべき場合もあり得よう。
(二) しかし、帰宅させるべきではないと判断した患者のすべてを直ちに転医させるのが医師としての義務であると判断するのは妥当とは思われない。それは、患者を帰宅させるべきではないと判断する基準そのものが、いわば慎重には慎重を重ねるという趣旨から成り立つているものと考えられるからであり、また、症状が現れない段階で転医を考えても、転医先がそのような患者のすべての受け入れを認めるかという点(この点は鑑定も指摘している)も考えなければならないからである。
(三) 本件の場合、仮に骨折の存在まで発見されていたとすれば、これが血腫発生を疑う重要な要素とされていることに照らし、直ちに転医措置をとるべきであつたと言えるかもしれないが、骨折が発見されていなかつたとすれば、転医措置をとらず、経過観察に止めたことが、医師としての義務に反していたとは断じ難い。
これに対し、経過観察の結果症状が発現したと認められる段階(本件では、頭痛等の症状が現れた午後六時三〇分がこれに該当しよう)では直ちに転医措置をとるべきであつたと言える。
そして、このように転医措置が必要であると認められる場合には、患者或いはその付添人に対し、硬膜外血腫の危険性等について十分な説明をし、強く転医を勧める義務があると言うべきである。また、このことは、差しあたり帰宅させずに経過観察を行うに止める場合であつても同様である。
3 転医先の選定について
(一) 原告らは、本件当時、女子医大病院が二四時間開頭手術を行い得る都内で唯一の病院であつたことから、転医先としてまず第一に同病院を考えるべきであつたと主張する。
確かに、証人仙頭茂の証言及び鑑定の結果によれば、本件診療が行われた昭和四六年当時、同病院が都内で右のような体制をとつていた唯一の病院であつたことが認められる(ただし、被告本多らが右のことを知つていたのかどうかは明らかではない)のであるが、同時にそのころは二四時間体制を敷いていたというものの未だ、十分な人的、物的設備を備えていたわけではなかつたこと、及び社会的な救急医療体制そのものが不十分であり、また、各救急病院の救急患者の受け入れ状況に関する情報を容易に知り得るような体制が整つていなかつたことも認められるのである(いわゆる救急医療体制は、通常の救急患者を扱う第一次救急、一応の外科的設備を備えた第二次救急、頭部外傷等重症患者について二四時間体制で処置を行うことができる第三次救急に分けられる。このうち、第三次救急体制を備えた医療機関が初めて発足したのは昭和五二年であり、女子医大病院も同年に第三次救急病院となつている。それ以前は、同病院といえども第二次救急病院にすぎず、この点では田端中央病院と同様であつた)。
したがつて、仮に被告本多らが、女子医大病院が都内で唯一の二四時間体制を備えた病院であることを知らなかつたとしても、怠慢であつたと非難するのは妥当ではない。
(二) そうすると、女子医大病院を第一の転医先と考えるべきであつたとまで断定することはできず、田端中央病院からの距離、病院の規模等に照らし、余り時間をかけずに転医させることができ、しかも、夜間開頭手術を行うことができる可能性がある病院(女子医大病院のような体制を敷いていなくても、現実に夜間開頭手術を行う能力のある病院が存在したことは十分に推測し得る)に対し、転医の照会をしている限り、結果的に相手方病院に受け入れを断わられたとしても転医措置に誤りがあつたと言うことはできない。
4 被告本多らの義務違反
(一) 既に判断したとおり、被告本多らとしては、第一回診療後、少なくとも原告徹を帰宅させるべきではなかつたのであるが、実際には帰宅させてしまつている。
この点に関し、被告本多は、「経過観察のための入院を強く勧めたのに原告栄子が聞き入れなかつた。」と主張し、同被告及び証人吉本和之の供述中にはこれに沿う部分がある。
しかし、原告栄子が右の主張を否定し、「帰宅しても良いと告げられた。」と供述していること、前記甲第七七号証の四(救急車出動記録)に、救急車の乗員に対する吉本医師の発言として「当時(第一回診療時を指す)の状態では入院の要なく帰宅療養中……」との記載があり、同丙第五号証(女子医大病院のカルテ)にも、同医師の発言として「X―ray(レントゲン撮影)……二、三日様子をみるよう」との記載があること、更に、被告本多、吉本医師の各供述からすると同被告らは、原告徹の頭部外傷が極めて軽微なものであつたと考えていた節が窺われること等に照らし、同被告らの前記供述は採用することができず、少なくとも同被告らは、原告栄子に対し、十分な説明をして、強く医師の下における経過観察を勧めることをしなかつたものと認めるべきである(他にこの認定を左右するに足りる証拠はない)。
したがつて、同被告らの処置は医師としての義務に反するものであつたと言わなければならない。
また、同被告らが左―右方向の頭部レントゲン撮影を行い(これを行わなかつたことも義務違反といわざるを得ない)、骨折の存在を認めていたとすれば、第一回診療終了の時点で転医措置をとるべきであつたことになり、この場合も、同被告らの処置には医師としての義務に違反する点があつたと言わざるを得ない。
(二) 以上の義務違反がなければ、同被告らは第一回診療終了時(午後五時五〇分ころ)か遅くとも頭痛等の症状が現れた時点(午後六時三〇分ころ)で原告徹の転医措置をとることができたと認められる。
ところが、実際には、原告徹は午後七時半ころの再診により急性硬膜外血腫の発生が診断されているから、転医措置もそのころに行われたと推認し得る。
したがつて、同被告らの右義務違反は、原告徹の転医、そして開頭手術の実施を一時間ないし一時間四〇分程度遅らせたことになる(なお、被告本多らとしては転医措置の着手時期を早めることができたにすぎず、その後の時間的経過、すなわちいつ転医先を発見でき、いつその転医先で開頭手術が開始されることになつたかは同被告らに左右できる事柄ではない。しかし、転医措置の着手時期が一時間ないし一時間四〇分早まつた場合におけるその後の時間的経過が、本件で現実に生じたそれと異なる経過をたどつたはずであると考えるべき事情は認められないから、本件における現実の経過と同一であるとの前提に立つて考えることとした)。
(三) また、本件では、転医措置(転医先の照会)が午後七時半ころに始められたのに、原告徹が女子医大病院へ向けて出発したのは、午後八時三八分ころになつており、この間一時間八分を要していたことになる。
しかし、右の点に関する被告本多の主張(被告らの主張1、(一)、(3)記載のとおり)及び証人吉本和之の証言を併せ考えると、吉本医師は、夜間開頭手術を行う能力を有する病院に対し、田端中央病院から近い順に転医の可否を照会していつたことが認められる。したがつて、右の各病院に受け入れを断られ、転医先(女子医大病院)を発見するのに手間どつたことはやむを得なかつたと言う外はなく、この点に関する処置に医師としての義務違反があつたとは認め難い。
5 以上の次第で、被告本多らの義務違反に関する原告らの主張は、同被告らが、「第一回診察が終了した午後五時五〇分の時点で直ちに転医措置をとるか、少なくとも右の時点で原告徹を帰宅させずに経過観察を続け、症状の現れた午後六時三〇分の時点で転医措置をとるべき義務があつたのにこれを怠り、原告徹を帰宅させた結果、転医の時期、更には開頭手術の実施を一時間ないし一時間四〇分遅らせた。」という限度で理由があり、その余の主張は失当ということになる。
そして、被告本多らの右義務違反は不法行為を構成し、同被告は、これにより原告らに与えた損害を賠償する義務がある。
五被告女子医大の責任
次に被告女子医大の責任について検討する。
1 第二項に認定した原告徹の診療経過と、第三項に認定した硬膜外血腫の一般的知見に証人仙頭茂の証言を併せ考えると、原告徹は女子医大病院に搬入された時(午後八時五八分)には既に明らかに急性硬膜外血腫とみられる症状を呈しており、仙頭医師もこれを認識していたものと認められる。
したがつて、右の時点から原告徹の診療を担当することとなつた仙頭医師としては、速やかに手術の準備行為を行い、一刻も早い開頭手術の実施へ向けて最善の努力をすべき義務があつたと言うべきである(もつとも、開頭手術の前提として、仙頭医師が、自ら硬膜外血腫発生の有無、発生部位等を診断しようと考えるのは当然のことであるから、右に述べた手術の準備行為には、硬膜外血腫の診断のために必要な医療行為も含まれる。以下においては、右の両者―純粋な手術準備行為と硬膜外血腫発生の有無、発生部位等を診断するための行為―を含むものとして、「準備行為」という)。
したがつて、仮に仙頭医師が右の義務に違反し、不当に手術の実施を遅延させたとするならば、それが医師としての義務に反することは言うまでもない。
2 しかしながら、緊急開頭手術のための準備行為は、患者の症状の診断、その容態に応じた応急処置、手術着手のための人的、物的設備の準備や患者に対する処置等様々な手順がそれぞれ密接な係わりあいを持ちながら行われるものであつて、手術着手までの所要時間というものも、このような手順の積み重ねを抜きにしては考えられないものなのである。そして、右の手順は、その時その時における患者の容態や患者を受け入れた病院側の状況によつて影響を受けざるを得ず、一律には決し得ない面を持つている。しかも、右に述べた様々な手順の内容やその所要時間、またその手順を必要とした根拠などを細かく記録することを医師に要求することはできないし、実際問題としても不可能であろう。特に、本件のような救急医療の場合は、時間的制約があり、そう言えるはずである。
したがつて、手術が早期に行われることが望ましいのは言うまでもないけれども、手術に至るまでの所要時間について法的義務としての基準を設けることには困難が伴うし、また、訴訟に現れた証拠に基づいて実際に行われた(と認められる)手順やその所要時間の当否を厳密に審査していくことにも実態に沿わない結論に陥る危険があると言わざるを得ない。
このように考えてみると、診療に当つた医師が、患者の症状の緊急性に対する判断自体を誤つたような場合はともかく(本件においては、仙頭医師が右の判断を誤つたとは認められない)、緊急性を正しく認識し、緊急処置(開頭手術)の実施に向けて診療行為を行つていたにもかかわらず、なおその処置に法的義務違反としての遅延があつたと認定できる場合は自ずと限られてくるものと考えざるを得ない。
右のような事情を考慮し、当裁判所としては、医師に手術に至るまでの所要時間を遅延させるという義務違反があつたと判断できるのは、次のような場合に限られると考える。
(一) 問題となつた手術までの所要時間が、同様の手術について通常要すると考えられている所要時間(前述の事情からすれば、これ自体相当に幅を持つたものと考える必要があろう)と比べ、明らかに長時間を要しており、しかも長時間を要したことを合理的に説明し得るだけの事情も認められない場合。
(二) 証拠から実施されたと認められる準備行為の中に、医師の裁量を逸脱した不要な手順、或いは手順実施の明らかな遅延が認められ、それにより手術に至る所要時間に遅延を生じたと認められる場合。
そこで、以下、右(一)、(二)の事実が認められるかどうかを検討する。
3 まず、所要時間の明らかな遅延の有無(前記(一))について検討する。
この点については、本件証拠上、本件診療当時における緊急開頭手術に至るまでの標準的な所要時間がどの程度であつたのかを認定することができるか自体に疑問が存する。しかし、原告らが、静岡労災病院報告に基づき、右の所要時間を二時間以内とすべきであつたという主張をしているので、この主張につき判断を加えておく。
(一) <証拠>によれば、静岡労災病院における急性頭蓋内血腫等(急性硬膜外血腫を含む)患者の夜間緊急開頭手術実施例全七八例の手術までの所要時間(患者の搬入時又は症状が顕在化した時から執刀開始までの時間)は次のとおりであつたことが認められる。
(1) 一時間まで 七例
(2) 一時間から二時間 三八例
(3) 二時間から三時間 二三例
(4) 三時間から一二時間 一〇例
前判示のとおり、本件の所要時間は二時間五四分であるから、右の(3)に当る。そうすると、前記報告においてもこの(3)に当るものは二三例(全体の約三〇パーセント)あるとされているのであり、手術までの所要時間が明らかに遅延した事例であるとは考えられない(同報告自体が、所要時間が三時間までであつたものが全体の約八八パーセントを占めたことを一つの成果として報告している)。
原告らは、同報告において二時間を超える所要時間を要したもの(右の(3)、(4)の事例)は、他の外傷の処置を要したものや緊急性が低い症例に関するものであつて、純粋な急性硬膜外血腫に対する緊急開頭例はすべて所要時間が二時間以内であつたと主張する。なるほど同報告の中に原告らが主張するような症例が含まれていること、そしてそのような症例では一般に手術に至る所要時間が長くなるであろうことは推測できないではない。しかし、同報告自体には原告らが主張するような説明が施されているわけではないし、各症例の具体的な状況も説明されていないのであるから、原告らの主張するような解釈を前提として判断するのは疑問である。
(二) 原告らは、静岡労災病院が救急告示病院でさえなかつたのに対して、女子医大病院が二四時間体制を備えた病院であつたことから、女子医大病院の医師には、静岡労災病院報告を上廻る実績(より早い開頭手術の実施)を挙げる義務があつたと主張する。
しかし、<証拠>及び鑑定の結果によれば、静岡労災病院報告は、同病院の医師らが夜間緊急開頭手術の早期実施のため特別のチームを編成し、診療行為を行つた成果を報告したものであつて、当時としては極めて水準の高い報告であつたことが認められる。
そうすると、女子医大病院が二四時間体制の病院であつたことから直ちに高度の義務を課すること自体の当否は措くとしても、右のように高い水準にあつた報告の実績を更に上廻るような実績を挙げることを求めるのは過大な要求であると言わざるを得ない。
(三) また、原告らは、原告徹の場合は、円滑に開頭手術に至ることができる事例であつたと主張する。なるほど、証人仙頭茂の証言によれば、右のような事情が窺えなくもないけれども(ただし、細かい事情について測り知れない点がありうることは既に判示したとおりであるし、円滑にといつても種々の手順を踏む必要があつたことはもちろんである。)、他面同証言及び鑑定の結果によれば、同原告は本件診療当時三歳の小児であつて手術の実施に当つては慎重を要したことも認められる。したがつて、原告徹の場合、他の症例(特に静岡労災病院報告に現れている症例)と比較して、特に早期の手術着手が実現できる状況にあつたと断定できるかは疑問である。
(四) 以上の検討の結果に、鑑定人が、「同人の勤務する国立第二病院における実績では、手術に至る平均所要時間が約四時間であつた。」としていること、証人仙頭茂が「所要時間が一、二時間であれば早い方である。」と供述していることを併せ考えれば、本件において手術に至る所要時間が明らかに遅延したとは到底認め難い。
原告らは、原告ら代理人の算定に基づき、四八分で手術に着手できるはずであると主張しているけれども、右は独自の見解であつてこの結論を左右するものではない。
4 次に、不要な手順の存在等(前記(二))について考えるに、本件証拠上、この事実を認めるべき的確な証拠はない。
もつとも、原告らは、「仙頭医師は吉本医師から、原告徹の受け入れの可否を尋ねられ、承諾を与えた時点(午後八時三八分ころ)から直ちに手術の準備行為を進めるべきであつた。」と主張しており、この主張は右の点に関係すると言えなくもない。
しかし、実際に手術を行うべき医師が、自ら患者を診断する必要があると判断し、それまでは本格的な手術の準備行為に入ることはできないと考えたとしても、それは当然なことであろう(第一、患者の正確な容態を把握した上でなければ適切な手術の準備はできないはずである)。したがつて、仮に患者を受け入れる前に行うことができる準備行為があつたとしても、それは僅かなものに限られるはずであり、手術の着手時期にさほど影響を与えたとは考えられない。
5 以上の次第で、原告らの仙頭医師の義務違反に関する主張は採用し難い。
したがつて、原告らの被告女子医大に対する請求はその余の点を検討するまでもなく失当として棄却すべきである。
六因果関係
本件で問題となつた一連の医療行為のうち、医師としての義務違反が認められるのは、被告本多らが第一回診療の後、直ちに転医措置をとるか、少なくとも原告徹を帰宅させずに経過観察をし、症状が現れた時点で転医措置をとるべきであつたのにこれをしなかつたため、開頭手術の実施を一時間ないし一時間四〇分遅らせたという点に限られる。
そこで、本項における問題は、右の義務違反がなければ、すなわち、実際の手術開始時期(午後一一時五二分)より右に掲げた時間だけ早い午後一〇時一二分ないし五二分の間に手術が開始されていれば、原告徹に後遺症が生じなかつたといえるかである。
そして、この点について当裁判所は、少なくとも、「手術が午後一〇時一二分ないし五二分に開始されていれば、本件程重い後遺症を残すことはなかつた。」という限度では因果関係を肯定してよいと考える。その理由は次のとおりである。
1 硬膜外血腫の経過は既に認定したとおりであつて、これによれば、時間的経過とともに血腫が増大して脳圧迫の度合を高め、これが症状の悪化をもたらし、また予後を悪くさせる要因となるのである。したがつて、開頭手術が早期に行われれば行われる程予後が良いはずであることは見易い道理であるし、また、第三項の認定に供した各証拠が示しているところでもある。
本件の場合、原告徹が受傷した(この時硬膜外出血が始つたとみられよう)のが午後五時ころであり、開頭手術が開始されたのが午後一一時五二分であるから、同原告が受傷してから約七時間後に開頭手術が行われたことになる。
ところが、被告本多らの義務違反がなければ、右の約七時間を一時間ないし一時間四〇分(これは七時間の七分の一から約四分の一に当る)短縮できたことになる。これは相当に大きな違いであるといわなければならない。
2 右のことは、次のとおり原告徹の意識状態の検討からも裏付けることができる(なお、意識の程度の分類については様々な説があり、また、用語の用い方が統一されていないため、一定していない。前出のフーパーは清明、傾眠、昏迷、昏睡という分類をしているが、より細かい分類をする説、他の用語を用いる説もある。前掲甲第一一三号証はこれらの説を総合して、意識障害が軽い順に、清明、傾眠、嗜眠又は昏眠、昏迷、半昏睡、昏睡という用語が用いられているとする。
ところで、本件における原告徹の意識状態を示した被告女子医大のカルテは、昏睡の前段階を昏迷としているのに対し、後に問題とする資料は、いずれも昏迷という用語を用いておらず、昏睡の前段階を半昏睡としている。その関係で、意識状態の区分のくいちがいが生ずるおそれがあるが、右甲第一一三号証に基づいて認定した用語区分からすると、半昏睡と昏迷を同程度のものとして扱つておけば、少なくとも意識障害の程度を軽くみすぎるおそれはないと思われる)。
(一) <証拠>には、術前の意識障害と予後の関係に関する三つの調査結果が紹介されている(ただし死亡率のみで、後遺症の発生率の調査はない)。これによると、術前の意識状態が昏睡であつた者と、半昏睡であつた者の死亡率は三四パーセントと一二パーセント、五五パーセントと一四パーセント、七三パーセントと三五パーセントであり、半昏睡に止つた場合は、昏睡に至つた場合に比べ格段に死亡率が低い。
また、<証拠>は、静岡労災病院において緊急開頭手術を行つた硬膜外血腫患者二五例について術前の意識障害の程度と予後の関係を調査しているが、その結果は同報告第五表記載のとおりであつて、意識障害の程度が半昏睡までであつたもの全一九例(うち半昏睡七例)には死亡例が一例もない。また、同報告は、全救命例中一例だけに後遺症(部分的社会復帰が可能な程度)が残つたとしている。この症例における術前の意識障害の程度は明記されていないが、半昏睡より重い昏睡、徐脳硬直の症例でも救命例があることからすると、右の後遺症例は意識障害の程度が昏睡又は徐脳硬直にまで達しながら救命されたものと解する余地が十分にある。そうすると、右報告では、術前の意識障害の程度が半昏睡までであれば、後遺症は生じなかつた(あつたとしても、七例中一例にすぎない)ことになるのである。
以上のとおり、前示の調査結果のすべてが術前の意識障害の程度が半昏睡に止る場合には、昏睡の場合よりも死亡率が格段に低いという結果を示している(これは後遺症の有無、程度を判定する一要素にはなろう。)うえに、全例(少なくとも七分の六)に後遺症が生じなかつたとする調査報告も存在するのである。そうすると、原告徹の意識障害の程度が昏迷(これを半昏睡と同様に扱うことは前示のとおり)に止つているうちに開頭手術が行われていれば、後遺症の発生を全く否定することはできないとしても、本件程重篤な後遺症は残らなかつた蓋然性が高いといつてよいはずである。
(二) そこで、被告本多らの義務違反がなければ開頭手術を開始することができたはずである午後一〇時一二分ないし五二分における原告徹の意識障害の程度を検討する。
同時刻における同原告の意識状態を明確に示した証拠は存在しない。しかし、午後六時三〇分までは同原告の意識が清明であり、午後七時三〇分におけるそれが意識障害の程度が最も軽い傾眠であつたこと、午後一一時三〇分におけるそれが昏迷ないし昏睡というものであつたことは既に指摘したとおりである。したがつて昏迷ないし昏睡という状態であつた午後一一時三〇分より早い午後一〇時一二分ないし五二分の段階では、同原告の意識障害が昏迷に止つていた蓋然性が高いといつてよい。
(三) そうすると、被告本多らの義務違反がなく、開頭手術が午後一〇時一二分ないし五二分に開始されていれば、原告徹が本件程重篤な後遺症を残すことはなかつたはずであることになる。
3 他方、第三項の認定に供した証拠によると、意識清明期の長さが短い症例程予後が悪く、特に意識清明期が三時間以内の場合(本件においては、女子医大のカルテ上、原告徹の意識清明期が三時間であつたとの記載がある)には予後が悪く、死亡率が五〇パーセントを超えるとの調査報告(後遺症に関する報告は本件証拠上見当らない)もあることが認められ、また、鑑定の結果によれば、鑑定人が松村医師による予後判定法(手術直前の意識障害の程度、意識清明期の長さ、受傷から手術までの経過時間、血腫の種類の四要素によつて予後を判定するもの)に基づいて原告徹の予後判定をした結果は生死境界線というものであつたことが認められる。
しかし、ここで問題としているのは、午後一一時五二分の開頭手術によつて救命することができた症例について、手術着手がより早くなれば後遺症の程度が軽くなつたか、という点なのであるから、意識清明期が短く一般に死亡率が高い症例であつたことから直ちに因果関係を否定するのは妥当ではない。また、鑑定人による予後判定も、あくまで午後一一時五二分に手術が着手された場合におけるそれなのであるから、この結果から当然に因果関係が否定されると考えるのは疑問である。
4 以上に検討した点を総合勘案し、本件の場合、被告本多らの義務違反がなければ、原告徹に本件程重篤な後遺症が生ずることはなかつたと認めてよいと考える。したがつて、被告本多は右の限度で原告徹らに生じた損害を賠償すべき義務がある。
七損害
1 以上の次第で、当裁判所としては、原告徹らに生じた損害の一部を被告本多に負担させるべきであると考えるのであるが、先に見たとおりその根拠は、同被告の義務違反がなければ本件程重大な後遺症を生じなかつた蓋然性が高い、という点にある。そして、その反面として被告本多の義務違反がなかつたとしても一定の後遺症が生じた蓋然性があることは否定し難いのであり、しかもその後遺症がどの程度のものであるかを判断し得るだけの資料はない。このように考えてみると、同被告に負担させるべき賠償額の算定に当つて不確定要素が多分にあることは否定し難い。したがつて、このような場合にはむしろ、原告徹らの損害額を財産的損害を含めた慰藉料として算定し、これを被告本多に支払わせるのが妥当であると考える。
2 そこで慰藉料の額について検討する。
(一) 原告徹の後遺症は前認定のとおりであるが、これを更に詳しくみるに、<証拠>を総合すると、(1)原告徹には、現在においても左半身不全麻痺、左顔面神経麻痺、知能、言語、歩行障害があり、更に外傷性てんかんの症状もあつて発作の発生に注意を要すること、(2)右のような後遺症により同原告は労働能力を一〇〇パーセント喪失し、また、一人で生活をすることができず、常に介護を要する状態にあること、(3)現在、同原告の介護は主として父母である原告和夫、同栄子が行つているが、原告徹の成長にともなう体重増加等により介護に困難が生じつつあり、また、同原告の前記障害が改善される見込みが殆どないため、将来父母が老齢に達すれば、介護が著しく困難になることが予想されること、以上の事実が認められる。
(なお、参考までに、因果関係を一〇〇パーセント肯定した場合における逸失利益、介護費用の各現在価格を掲げておく。計算式は特に示さないが、中間利息の控除をライプニッツ方式により行う以外は原告らが主張する計算方法に従つて計算し、一万円未満を切りすてた結果である。
逸失利益 二八八三万円
介護費用 二八二〇万円)
(二) また、僅か三歳で右のような後遺症に悩まされることになり、これからの一生を回復の見込みもなく過さなければならない原告徹、そしてその父母である原告和夫、同栄子の精神的苦痛の大きさも容易に推測しうる。
(三) 反面、<証拠>によれば、原告らは別件訴訟において、本件交通事故の発生には原告徹側の過失もあるとして、二割の過失相殺をされていることが認められる。この交通事故発生に関する過失は、その後に行われた医療行為そのものに影響を与えるものではない。しかし、交通事故こそが本件のすべての発端となつているのであるから、公平の見地からしても慰藉料算定の一事由とすべきである。原告徹らは「本件の被告本多らの義務違反は重過失と評すべきものであるから、これにより交通事故との因果関係が中断される。」と主張するが、第四項において判断した点に照らし、同被告らの義務違反を因果関係を中断させる程重大なものと考えることはできない。のみならず、<証拠>によれば、原告らは別件訴訟において、交通事故の加害者等に対し、後遺症を含む全損害を交通事故と因果関係にある損害として請求し、認容されている。そして、次に述べるとおり一部とはいえその支払を受けているのである。それにもかかわらず、本訴において因果関係の中断を主張することには賛成することはできない。
(四) 原告らは、交通事故の加害者らから、原告徹に対する損害賠償の一部として合計二七六八万円の支払を受けたことを自認している。この点も慰藉料の算定に当たり一応考慮すべきである。
(五) 最後に本件のような不幸な事態が生じた背景には、本件診療当時における社会全体の緊急医療体制の不備という問題があつたように思われる。原告徹のように硬膜外血腫発生の危険がある患者を開頭手術を行う設備を持たない病院が受け入れざるを得なかつたということ、そして転医先を照会する十分なシステムが確立されていなかつたということ、これらは、原告徹にとつても、それと同時に被告本多にとつても不幸な状況であつたと言う外はない。また、第一回診療当時の被告本多の処置に義務違反があつたことは否定できないけれども、再診時以降は吉本医師が転医先の発見等に努め、更に、原告徹を女子医大病院に転医させる際には自ら救急車に同乗して付き添うなど、できる限りの努力をしたことも汲むべきであると考える。
(六) 以上に指摘した事情その他諸般の事情に照らし、被告本多が原告らに支払うべき慰藉料は次の金額が相当であると認める。
(1) 原告徹に対し 一二〇〇万円
(2) 原告和夫、同栄子に対し 各一〇〇万円
3 次に、本件記録によれば、原告らは本件訴訟の追行を弁護士坂根徳博に委任したことが認められる。そこで、各原告の慰藉料認容額の各一〇パーセント相当額を本件と相当因果関係にある損害と認めることとする。
八以上により、原告らの被告本多に対する請求は次の限度で理由があり、認容すべきであるが、これを超える部分は失当として棄却すべきである。
(一) 原告徹
一三二〇万円及び、うち弁護士費用を除く一二〇〇万円に対する昭和四九年一一月一日(本件不法行為の日以後)から支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金。
(二) 原告和夫、同栄子
各一一〇万円及び、うち弁護士費用を除く各一〇〇万円に対する昭和四六年四月一日(本件不法行為の日以後)から支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金。
九よつて、訴訟費用の負担につき民訴法九二条、九三条を、仮執行宣言及び仮執行免脱宣言につき同法一九六条を各適用して主文のとおり判決する。
(大城光代 春日通良 鶴岡稔彦)
別表(一)、(二)<省略>